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『自堕落人間半生記』~大和 四歳

*  *  *  *  *


自分の人生を振り返ってみると、おそらくもっとも古いであろう記憶は、保育園に通っていた四歳のころである。

人によっては胎児時の記憶を持っているらしいので、私の最古記憶が『四歳』というのはいささか情けない気もするが、それ以前の記憶となると、自分でも「夢か幻か」の部類に入ってしまい、正しい記憶なのか自信が無い。

はっきり『記憶』として残っているは、やはり四歳だ。

当時私は、地元の寺が運営する保育園に通っていた。

寺は大きかったが園内は狭く、また、第ニ次ベビーブームであった我が世代は異様に園児の数が多かったため、狭い室内にギュウギュウ詰めにされていた。

寺が運営していたといっても、なにか特別に宗教的な事をやらされていたかというと、そうでもない。

いや、記憶に残っていないだけかもしれないが、普通に登園し、歌を歌い、お遊戯をし、おやつを食べて帰る。それだけのものだった。

のちに、別の寺の保育園に転園するのだが、むしろそちらのほうが、積極的に仏教の教えを行っていたと思う。

それにしても、今思えば、なぜ親がここまで寺保育園こだわったのか謎である。

確かに我が家は仏教徒ではあるが、なんとなく惰性で信仰していただけで、そこまで熱心な仏徒ではなかったと思う。

もちろん、世間並みのことはするのだが……。

まぁ、その辺りのことはいずれ書くとして、今は四歳時の話を進めよう。

最初に通っていたその保育園 ―――仮にA園としよう――― は、あまり日が当たらず、終日暗かったように思う。

それとも私の記憶がポンコツなせいで白黒構成なのか。思い出す園内は、いつもセピア色だ。

そんな中、鮮やかに甦る色がある。それは黄色だ。

教室の脇に備え付けられていた洗面台に、いつも鎮座していた黄色い石鹸。

おそらく、日本人であれば知らない人はいないであろう、レモン形の石鹸だ。

その後、小中高と、ひたすらお世話になった石鹸。

全てがセピア色で浮かぶ記憶の中で、レモン石鹸の黄色だけが鮮明に思い出せる。

それはなぜか。

そこが私のお気に入りの場所だったからだ。

洗面台の前には仕切りが置かれ、いつも教室の中心にいた先生からは、完全に死角となっていた。

子どもの安全が声高に叫ばれる今日、こんな造りの保育園など存在しないだろうが、当時は本当にあったのだ。

わりといい加減な時代だった。

しかし、このいい加減さが、子どもたちのワクワク感を育てる一因であったことは間違いない。

当時、もっとも仲の良かった久美子ちゃん(仮名)と二人、よく仕切りの陰に隠れ、ひそひそと内緒話をしていた。それが私たちの日課だった。

園内に給食室があったため、お昼が近付くと、なんとも香ばしい香りが辺りに漂ってくる。その香りをくんくんと嗅ぎながら、給食の当てっこをしたり、お遊戯会で披露する踊りの練習をしたり、ときには別の友達の下世話な話をしたりと、極狭ながらも、そこは私たちの城であった。

わずか四歳でも、子どもには子どもの社会があるのだ。

そんな私たちが、毎日何気に見ていた黄色。私たちを見守っていてくれた黄色。

その黄色だけが、セピア色の中で今も美しく輝いている。



……さて、余談であるが、実は私は久美子ちゃんの顔をよく覚えていない。

その後の転園によって久美子ちゃんとは離れ離れになるのだが、小学校入学時に再会、そのまま中学まで同じ学び舎で過ごすことになる。

それでも、久美子ちゃんの顔は思い出せない。

あの洗面台での内緒話も、一緒にお遊戯会で踊ったことも、記憶としては残っているのだが、もともと他人の顔を覚えるのが苦手な私にとって、久美子ちゃんは『思い出』の中の一キャラクターに過ぎなくなっていた。

中学を卒業し、それぞれの高校に進んでからというもの、顔を合わせることも思い出すこともなかったのだが、つい最近、ひょんなことから彼女の名前を聞くことになった。

それは母からの話だった。

最初、母がしんみりとした口調で「久美子ちゃんって覚えてる?」と切り出したので、(まさか……死……っ?)と一瞬悪い予感が頭をよぎったのだが(なぜそんな予感が走ったのかは追々書いていきます)、久美子ちゃん自身は結婚もし、子どもも産まれ、幸せに暮らしているらしい。

どうやら問題は、久美子ちゃんの母親。

私は知らなかったのだが、母親同士は今でもちょこちょこと交流があったらしく、その中で、少々トラブルになっていると。

鬱が原因らしいが、頻繁に母の元へ電話がかかってくるので困っているのだそうだ。

「優しく話をすると落ち着くんだけどね」と母は言っていたが、そんなことよりなにより(……と言っては語弊があるが)、卒業から何十年も経った今でも、母親同士で交流があったことに私はすごく感動した。

娘同志は、全くの音信不通状態なのに。

人の縁とは分からぬものだなと感心しつつ、とりあえず評判の良いカウンセラーのいる病院を紹介した。


~了~
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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

『自堕落人間半生記』~大和 五歳

前回、A園での話をしたが、五歳の春、私は別の寺が運営している保育園へ編入することになった。

そこにどんな大人の事情があったのか、私は知らない。

ただ、ある日突然、母から「これからは別の保育園に通うのよ」と言われ、その後A園で、先生から「ここでみんなと一緒に卒園出来たら良かったのにね」と、言ってもらえたことだけを覚えている。

新しく通うことになったB園は、真言宗の僧侶が理事長を務める保育園だった。

寺とはやや離れた場所にあったが、園の講堂には大日如来像が飾られ、毎朝そこで、みんなでなにやら斉唱するのが日課だった。

正確になにを言っていたかは覚えていないが、妹の話によると、『万物へ感謝の言葉』らしい。その妹にしてみても、

「なんかねぇ、『ありがとうございます!』とか言ってた気がする」

……というなんとも心もとない記憶だが、それすらも覚えていない姉よりはマシだろう。

この園はA園と比べると、とても厳しかった。

とくに挨拶は、声が小さかったり気持ちがこもっていないと先生が判断したら、何度でもやり直しをさせられた。

その当時は(面倒くさいなぁ)と思ったものだが、大人になってから、挨拶の大切さを知ることになる。

挨拶が出来ない秀才と挨拶が出来る馬鹿、どちらを選ぶ?と聞かれたら、ほとんどの人が迷わず後者を選ぶだろう。

私だってそうだ。

明るくはきはきとした挨拶は、多少のミスなど吹き飛ばしてくれる優れた渡世術だと思う。

今でこそ、それが理解できるが、当時は面倒くさかった。

面倒くさくてもやらなければならなかった。

また、定期的に理事長が説法を聞かせてくれたのだが、ほとんどの園児はポカンと聞いていただけだった。

なんとなく(役に立つ話をしてるんだろうな)と思うだけだ。

内容もよく覚えていない。

では、幼児に説法を聞かせるのは無意味かというとそうではない。

理解できるかどうかではなく、その空気をじかに肌で感じることができるかどうかなのだ。

日本において、やはり仏教は、意識せずとも最も身近にある宗教だと思う。

神道の家庭でも、大みそかに除夜の鐘を聞くと感慨深くなるし、願掛けと称して、禁欲生活を送ることもある。

もちろん逆もある。

仏教徒なのに神前結婚式をあげたり、クリスマスをしたり。

宗教に関して日本人は、本当にしっちゃかめっちゃかなのだが、それでもやはり、日本人=仏教のイメージは拭いきれない。

日本人の道徳観念も、そもそもは仏教からきている。

『嘘つきは閻魔様に舌を引っこ抜かれる』
『悪いことをすると地獄に堕ちる』
『地獄に落とされた者は、永遠の苦しみを味わうことになる』
『善人は極楽へ行ける』
『極楽で幸せなひと時を過ごしたあと、再びこの世に生まれ変わることが出来る』


とてもありがたいことに、日本人のモラルは、世界ではトップクラスと言われている。

どうも日本に住んでいるとそうは思えないのだが、海外から見ると、治安もいいし犯罪率も低いほうらしい。

佐世保の同級生殺害事件や、北海道の女性拉致事件など、痛ましい事件が立て続けに起こっても、それでも日本人のモラルは世界から称賛される。

その是非はここでは棚上げしておくとして、なぜ日本は治安が良いと言われるかは、やはり上記の教えを幼い頃より叩き込まれているからではないだろうか。

私たちは、とにかく他人に迷惑をかけるなと教えられてきた。

他人を思いやり、子供を慈しみ、親を気遣い、老人を敬う。

そうすることで己の徳を積み、死後の世界で安寧を得られると無意識化で理解している。

日本人の心に沁みついた仏教の教えは、子供の時分より知らず知らずのうちに、大人から継承される。

保育園で仏教に触れることは、それらをより強く正確に肌で感じ取ることができるというわけだ。

私の両親が寺保育園にこだわったのも、もしかしたら、そういったことを踏まえてのことだったのかもしれない。

・・・そんなに思慮深い両親でもなかったが。

さて、このB保育園、実家の近くにあったので、通っている子どもは、ほぼ近所の子どもたちであった。

その中でも、最も我が家に近い家に、さくらちゃん(仮名)という子がいた。

白い肌と日本人離れした顔立ち、やや癖の入った赤髪が、まるで異国のお人形さんのようだった。

私がこれまで出会った人々の中で、間違いなく一位に輝く美少女である。そう言えば五年ほど前、偶然スーパーで何十年ぶりかに再会したのだが、とても四人の子持ちとは思えない美魔女っぷりに、思わず圧倒されてしまった。

人間、あんなふうに年を重ねたいものである。

・・・いや、それはともかく、幼少当時の私とさくらちゃんは、家族ぐるみでお付き合いしていた。

私がA園に通っている時から、よく休日は一緒に遊んでいたのだ。

しかし、大の仲良しかと聞かれれば、はて?と首を傾げてしまう。

よく一緒に遊んだし、互いの家も行き来していたが、それはたんに『家が近いから』というそれだけのことに過ぎない。

さくらちゃんは見た目の可憐さとは裏腹に、非常に我の強い子であった。

そして私もまた、負けず嫌いの我の強い子であった。

こんな二人がそうそう仲良く遊べるものではない。彼女とは、しょっちゅうケンカばかりしていた気がする。

昨日ケンカをして今日仲直りをし、そしてまたケンカをして明日仲直りをする。毎日がそんな具合だった。

そんな似た者同士の二人だが、決定的に違うのは、さくらちゃんは非常に『人を集めるのが上手い』ということだ。

普段はさほど付き合いのない子でも、私とのケンカの最中に、いつの間にか自分の側に引き込んでしまう。

あのテクニックは今考えても、お見事というほかない。

だから彼女の周りにはいつも人がいたし、逆に、ケンカをしている時は私の周りにはほとんど人はいなかった。

数人の女の子が集まって、こちらを見ながらなにやら話してる。そんな状況が保育園内で日常茶飯事に行われていたのだ。

・・・と、ここまで読むと、まるで私が気の弱いいじめられっ子のように思えるが、前述した通り、私もそんなにか弱い子どもではない。

私がさくらちゃんとケンカをした時、必ずすり寄って行く子がいた。

かな子ちゃん(仮名)だ。

どこの集団にも、たいてい一人はいる『大人しい子』だ。

かな子ちゃんは、とても穏やかな子だった。普段は一人で絵本を読んだり、先生のそばでぼんやりしていた。

だからと言って、人付き合いが苦手という感じでもなかった。歌も大きな声で歌えるし、話しかければハッキリと返事をしてくれる、どちらかといえば聡明な子だ。

ただ、容姿が凡庸だったせいで、クラスの人気者といった体ではなかった。

あのさくらちゃんですら、わざわざかな子ちゃんを自分の陣営に入れようとはしなかった。

そんなかな子ちゃんに私は、クラスで孤立した時だけすり寄っていたのだ。普段はたいした付き合いもないのに、である。

まったく、我ながら卑怯な子どもである。

普段は挨拶ぐらいしかしないのに、さくらちゃんとケンカをして居場所がなくなった時だけ、かな子ちゃんに馴れ馴れしく話しかけるのだ。

もし私がかな子ちゃんの立場だったら、こんな勝手な奴、口も利きたくないだろう。「ふざけんな!」ぐらい言ったかもしれない。

しかしかな子ちゃんは、気持ちの優しい子だった。

もちろん内心は気に入らなかっただろうが、それでも毎回、私を受け入れてくれた。時には自分から、私が孤立していないかどうかを気にかけてくれるような、そんな子だった。

そのかな子ちゃんの優しさを、私は自分の都合のいいように利用していたのだ。

理事長が知ったら、卒倒しそうな悪行である。

せっかくの説法がまるで役に立っていない。当時の私は、理事長の話を聞いていなかったのだろうか?

・・・・・聞いていなかったのだろう。どうりで覚えていないはずだ。

『他人に慈しみを持て』みたいなことだったと思うが、慈しみどころか、私とさくらちゃんは、ことあるごとに対立し、その度に周囲を巻き込んで大騒ぎしていた。

理事長どころか、親まで落胆させてしまいそうな話である。

しかし、そんな二人の対決に、ついに終止符が打たれた。

それは、毎年恒例のお遊戯会のことであった。

もちろん私にとっては、B園で参加する、最初で最後のお遊戯会だ。それだけに気合いも入っていた。

私たちの演目は、アンデルセン童話『雪の女王』に決まった。

ゲルダという少女が、雪の女王に魅入られたカイ少年を助けるために冒険に出かけるという、あの童話だ。

この配役で私たち二人は、揉めに揉めた。

私もさくらちゃんも、ゲルダを希望したのだ。

当然である。誰だってヒロインをやりたい。

とくにこの『雪の女王』では、ゲルダはヒロインでありヒーローでもある、大変おいしい役なのだ。

それを是非自分がやりたい。

そう主張して譲らない私たちに、ついに先生が判決を下した。

『ゲルダ役・さくら  雪の女王役・大和』



・・・・・雪の女王・・・・・大和?



なんと私は、ラスボス雪の女王役に決まったのだ。

この瞬間、私は負けた。

さくらちゃんに負けたのだ。

先生がヒロインにふさわしいと判断したのは、さくらちゃんだった。

そして私に回されたのは、物語の最後に、ゲルダにフルボッコにされる女王だった。

思わず号泣した私に、さすがのさくらちゃんも慌てたようで、「女王様だから綺麗なドレスが着れるよ」と励ましてくれた。

先生も「そうだよ。大和ちゃんのお衣装がいちばん綺麗なんだよ」と言ってくれた。

でも私は、衣装なんかどうでもいいのだ。

ヒロインに選ばれなかった。さくらちゃんに敗北した。

そのことが悔しくてたまらなかったのだ。

面倒くさい子どもである。

それ以来、私たちはあまりケンカをしなくなった。なんとなく上下関係が出来てしまったのだ。それは小学校に上がってからも変わらなかった。


たかがお遊戯会。されどお遊戯会。

子どもにとっては死活問題なのだ。


ちなみにお遊戯会では、私は誰よりも派手なドレスとマントを着せてもらえた。

そのドレスを着て、ゲルダや、ゲルダに同行してきた動物たちにフルボッコにされて役を終えた。

かな子ちゃんは、ゲルダに同行していたキツネかネコの役だったと思う。

舞台の上とはいえ、私は都合よく利用していたかな子ちゃんにまで、制裁を加えられてしまった。


因果応報。

これぞまさしく、仏教の教えである。


~了~


テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

『自堕落人間半生記』~大和 六歳①

その年、私は小学校に上がった。

襟元に白いフリルがついた黒色のワンピースを着て、入学式に臨んだ。

私の母校は、当時(いや、今でもらしいが)県下ナンバーワンの巨大校であり、また第二次ベビーブームであったことから、式当日の混乱ぶりは凄まじかった。

数百人の新一年生が、会場となっている体育館を所狭しと走り回るのだ。

親の注意なんか聞いちゃいない。ましてや教師の呼びかけなんぞ、どこ吹く風だ。

朝早くから気合いを入れて着飾ったであろうスーツも髪型も、式が始まる前にすでによれよれである。それほどみんな興奮していた。

体育館入口に受付が設けてあり、そこで、それぞれが配属されるクラスを知らされる。

自分のクラスを確認したら体育館に入り、クラスごとに分かれて着席する。

たったこれだけのことに、そうとう時間がかかったように思う。

親は離れた保護者席にいるので、開放感たっぷりの子どもたちのテンションが、おかしいくらいに急上昇した結果である。

しかしそんな中、私はひとり、大人しく座っていた。

別に礼儀正しい子だったわけではない。

普段の私なら、一緒になって騒いでいたであろう。

しかしこの時の私は、そうは出来なかった。

なぜなら、私が配属されたクラスに、知っている子が一人もいなかったからだ。

私が卒園したB保育園は、確かに賑やかではあったのだが、他の保育園・幼稚園と比べると、やや規模は小さいほうであった。

それでも誰か一人くらいは同じクラスになるだろうと踏んでいたが、ものの見事に、私一人だけがあぶれてしまった。

・・・なにか悪いことをしただろうか? 全く身に覚えがない。

いや、正確には男の子が一人、B園から上がっていたのだが、ほとんど交流のない子だったので、あまり頼りになりそうも無かった。

そんな心細い思いであたりをきょろきょろと見回し、ふと振り返ったとき、はるか後ろのクラスに座っていたさくらちゃんと目が合った。

さくらちゃんの隣には、当時、私の初恋の相手であった杉山くん(仮名)がおり、さくらちゃんと楽しそうに話をしていた。

私に気付いたさくらちゃんは、なんとも得意げに微笑むと、私のほうを指さしながら杉山くんに向かって何か言い、今度は二人でくすくすと笑った。

その時のシーンは、今でも鮮明に覚えている。

さくらちゃんの勝ち誇った笑顔は一生忘れないだろう。

実は在園当初から、私とさくらちゃんは、杉山くんを奪い合っていたのだ。

「え? まだ幼児でしょ?」なんて思ってはいけない。

幼児にだって、恋の駆け引きはあるのだ。

さらに悪いことに、この杉山くんがとても優しい子だったので、積極的に攻めてくる二人を無下にあしらうことができず、いつも私たちの間を行ったり来たりしていた。

私とさくらちゃんの対立の最大の原因は、この杉山くんだったかもしれない。

その杉山くんとさくらちゃんは、小学校では同じクラスになった。

お遊戯会の一件で、私はさくらちゃんに負けを期しているだけに、これにはトドメを刺されたと言っても過言ではない。

・・・何か悪いことをしただろうか? 全く身に覚えがない。

この頃はまだなにもしていない。

後に私とさくらちゃんは、二人で大馬鹿なことをして、親からも教師からもこっぴどく叱られるのだが、それはまた次の機会に話すとしよう。

今回は入学式である。

二人の蜜月っぷりに当てられて、ふてくされたように黙り込む私に、一人の女の子が話しかけてきた。

久美子ちゃんだった。

B園の前に通っていたA園で、もっとも親しくしていた、あの久美子ちゃんだ。

私は飛び上がらんばかりに驚いた。

まさか久美子ちゃんと同じクラスになっていたとは・・・。

自分のことばかり気になっていて、周りが見えていなかったのだろう。

声をかけられて、初めて久美子ちゃんに気が付いた。

久しぶりに再会した久美子ちゃんは、相変わらず小さくて可愛い子だった。

私は嬉しくて嬉しくて、思わず久美子ちゃんと手を取り合って喜んだ。

(もうこれで寂しくないぞ。久美子ちゃんがいるんだもん。私は大丈夫)

と安心しながら振り向くと、今度は、こちらをじっと睨みつけてくるさくらちゃんと目が合った。

さきほどまでの得意げな表情はどこへやら。あきらかに、さくらちゃんは私を睨んでいた。

ようするに、自分の知らない相手と私が、仲良くしていたのが気に入らないのだろう。

ワンピースに穴が開くんじゃないかと思うほどに、さくらちゃんからの視線は痛かった。

いや、おそらくこれは、私がついさきほど、さくらちゃんに送った視線である。私はこんなにも鋭い視線を送っていたのか。

子どもとはいえ、まっこと女は恐ろしい。

もちろん私は、にこりと得意げに笑ってみせた。


こうして私の小学校生活は始まったのである。

このわずか一週間後、私のクラスで衝撃的なことが起こる。

『自堕落人間半生記』~大和 六歳②


一年生の時の担任は、ベテランの女の先生だった。

近所によくいる、気のいいおばちゃん風の優しい先生だったと思う。

「他のクラスには、こわ~い男の先生がいるんだって」という噂話を聞いた時は、この先生で良かったと心底ホッとしたものだ。

入学してからしばらくは、とくに勉強らしい勉強もなく、校内の案内や上級生たちとの交流など、そういったことに時間を費やしていた。

集団生活でのマナーや道徳的なことを学び、給食を食べたら即下校。

毎日学校に遊びに行っているようなもので、入学式で再会した久美子ちゃんや新しく友達になった子たちと、まぁ楽しく過ごしていたと思う。

もしかしたら長い学生生活の中で、もっとも楽な時期かもしれない。

ようやく教科書を使って、本格的に勉強が始まったころ、それは起こった。

入学式からちょうど一週間目。

小学生になって初めての日曜日を過ごしたあとの、月曜のことだった。

いつものように登校し、いつものように教室に入った途端、クラスに漂っていた異様な雰囲気を感じ取って、思わず足を止めた。

いつもなら騒がしい声が響き渡っている教室が、水を打ったように静かなのだ。

先に登校していた子たちは、いくつかのグループに分かれて、声をひそめて何やら話をしている。

先生はというと、教室の前方にある教卓に突っ伏していた。

なんとなく元気よく挨拶するのがためらわれた私は、あたりを窺うように静かに足を進めて自分の席に行き、そして気づいた。

私の隣りの席に、花が活けてあるのだ。

小さい花瓶に綺麗な花。

私は首を傾げた。

その席は、ほかの幼稚園から来た男の子の席だ。

隣りなので挨拶ぐらいはしていたが、それ以外、ほとんど話したことはなかった。

その子の机の上に、鮮やかな花が活けてあるのだ。

今ならその意味が分かるが、当時の私にそんな知識はなく、ただただ不思議だった。

なんだろう? と思いながら花に触れようとした時、突然強く腕を掴まれ、そのままズルズルと教室の隅に連れて行かれた。

久美子ちゃんだった。

目を丸くする私に、久美子ちゃんが囁いた。

「死んじゃったんだって」

一瞬、思考が止まった。

え? なになに? と戸惑う私に、久美子ちゃんがもう一度言った。

「昨日、車にひかれて死んじゃったんだって、〇〇君」

・・・私が人生で初めて経験した身近な死は、クラスメイトの死だった。

まだ誕生日が来ていなかったから、六歳だ。

たった六歳で彼は逝った。

ほとんど話をしたことはなかったが、ただ、お互い誕生日が近かったこともあり、そのことについて、なにやら話したことはあったと思う。

出会ってたった一週間で、彼とはお別れが来てしまった。

その後に始まった朝の会で、先生が泣きながら経緯を話してくれた。

日曜の夕方、〇〇君は、車の後ろに回り込んで遊んでいたらしい。

そのことにドライバーが気づかず、バックをしてしまったということだ。

どちらにとっても不幸な事故だ。

ドライバーがきちんと確認をしていれば。〇〇君が遊ぶ場所を変えていたら。そうすればこんな事故は起こらなかった。

先生はそう言って、長い時間を使って、私たちに交通ルールの重要性を説いた。

その日一日、私は花とともに授業を受け、その後、男の子の列はひとつづつ前に詰められた。


~了~


『自堕落人間半生記』~大和 六歳③


衝撃的な幕開けだった私の小学校生活。

事の重大さに神妙な雰囲気が漂っていた教室だったが、徐々に活気を取り戻していった。

その背景には、入学早々行われる運動会もあったと思う。

我が母校はなんとも迷惑なことに、春と秋の二回、運動会が行われるのだ。

といっても、春に開催されるのは通常の運動会ではなく、むしろ全校一斉体育といった感じの、こじんまりとした大会だった。

むろん保護者の来校もなく、児童はただひたすら運動場を走り回る。

団技も遊戯もない。

徒競走や障害物競走といった、個人競技が主となる。

午前中のみの開催だったが、入学式以降の体育の時間は、ほぼ運動会対策に充てられるといった力の入れ具合だったので、否応なしにも子どもたちは盛り上がった。

そんな運動会の直前だったと記憶する。

私とさくらちゃんは、学校を休んだ。

いや、休んだという表現は適切ではない。

丁寧に言えば自発的休暇、社会的に言えば無断欠席、砕けた言い方をするならサボりだ。

そう、ようするに、学校をサボったのだ。

小学一年生ですでにこれである。

しかし、これには少々事情があった。

私とさくらちゃんは互いに含みを持ちながらも、やはり幼馴染ということもあって、クラスは違えど、登下校は常に一緒だった。

毎日、私がさくらちゃんの家に立ち寄ってから、二人で学校に向かうのが習慣になっていた。

その日も、私たちはいつも通り学校に向かった。

とくに変わったことはなかった。

だらだらと長い道を歩き、校門をくぐる。

別に遅刻した訳でも、道すがら上級生にからかわれたわけでもなかった。

それなのに突如、さくらちゃんが言ったのだ。

「教室に行くのやめよっか」

靴箱までもう一息。そんなタイミングだった。

私は驚いて、

「なんで?」

「行きたくなくなったから」

「だめだよ。先生におこられちゃうよ」

「大丈夫だよ。きっと先生、気づかないよ」

「・・・そうかな」

「そうだよ。あたしたちぐらいいなくても、わかんないよ」

・・・大学ならいざしらず、小学校で無断欠席が出て気づかないはずはないのだが、なんとなく私もその気になり、じゃあ行くの止めようという流れになった。

そんな話をしている私たちの横を、子どもたちが通り過ぎていく。

なかなか靴を履き替えない私たちに不審そうな視線を送ってくる子もいたが、とくになにも言わず、みんなそれぞれの教室へと向かう。

あらかた人がいなくなり、チャイムが鳴る直前に、私たちは運動場の片隅に建てられたアスレチックへと走った。

そこにはたくさんの遊具があり、身を隠す場所はいくらでもあった。

そのひとつに入り込み、私たちはジッと息をこらした。

ややあって、近くに設置されたスピーカーからチャイムが流れた。

朝の会が始まるのだ。

このチャイムが鳴りやむと同時に号令がかかり、先生が一人づつ名前を読み上げながら出席をとる。

ここで私は気づいた。

「ねぇ、やっぱり先生、気づくんじゃない? あたしたちがいないこと」

さくらちゃんにそう問うたが、さくらちゃんは返事をしない。

「やっぱり行こうよ」

何度か説得を試みるも、さくらちゃんはやっぱり何も言わない。

この際、私だけでも行こうかと思ったが、なんとなくそれもためらわれ、仕方なく私も黙った。

朝の喧騒がなくなり、校内は静まり返っている。

各教室で朝の会が進行しているのだから、当たり前である。

一時間目に体育があるであろうクラスも、まだ運動場には出てきていない。

そんな中で数分の沈黙ののち、さくらちゃんが突然、

「帰ろう」と言って立ち上がった。

私は目を丸くした。

「え? 帰る? 家に?」

戸惑う私に構わず、さくらちゃんはさっさと裏門に向けて歩き出す。

裏門は、アスレチックのすぐ脇にあった。

その当時は柵もなく、入ろうと思えば自由に出入りできるようになっていた。

余談だが、この裏門、現在では封鎖されており、学校のほぼ全体を巨大なブロック塀で囲ってある。

時代の流れというものか。

私の子ども時代は、あらゆることに無防備であった。

近くの住人が犬の散歩に、当たり前のように校内に入り込むほどだったのだ。

まぁさすがにこれは、ほどなくして学校側から意見が出され、禁止になったが。

現在の母校にも、避難用に裏門が設置されているはずだが、それがどこなのか、今の私では知る由もない。

きっと普段は出入りできないように、厳重に管理されているのだろう。

裏門を抜け、私たちは建物の影を通りながら、帰路についた。

(おまわりさんに見つかったらタイホされるんじゃないか)
(今ごろ先生はカンカンに怒っているんじゃないか)

だんだんと不安が積もっていくが、どちらも学校に戻ろうとは言わなかった。

やがて家の近くまで来たが、そこではたと止まり、さてこれからどうしようかと悩んだ。

さくらちゃんの家は美容室だ。

家に戻れば親がいる。

私の家は共働きだったが、まだ母親が出勤前だ。これまた家にいる。

のこのこ帰宅すれば、互いの両親から大目玉を食らうのは目に見えている。

つまり私たちは、なんとなく帰っては来たものの、そこから先はどうすることも出来ず、立ちつくしてしまった。

「・・・どうするの?」

さくらちゃんに聞いても返事は無い。

「さくらちゃんが帰るって言ったんだよ」

やや責めるように言っても、さくらちゃんはジッと下を向いたままだ。

私は少し腹が立った。

さくらちゃんが帰ろうと言って学校を出たのだ。私はいわば、さくらちゃんのわがままにつき合わされただけだ。

それなのに、当の本人は黙り込んだままで動こうとしない。

もともと対立していた二人だ。

ここぞとばかりに、私はさくらちゃんを責めたてた。

「ねぇ、どんすんの? ずっとここにいるの? もしおまわりさんに見つかったから、さくらちゃんのせいだからね」

不満を思いきりぶつけると、さくらちゃんが泣きそうな顔で私を見上げた。

何か言いたいことがあるけど言えない、そんな表情だ。

お人形のような大きな目を潤ませて、ジッと私を見つめるさくらちゃんに思わずたじろぎながらも、私は強い口調で、

「ねぇってば!」

と詰め寄った。

さくらちゃんは、ますます泣きそうになった。

その時だった。

「いた!」

と声がして、さくらちゃんの腕を誰かが掴んだ。

びっくりして見上げると、それはさくらちゃんのお母さんだった。

さくらちゃんを掴んだまま、さくらちゃんママは後方に向かって、

「二人ともいたよ!」

と叫んだ。

その向こうから、サンダル姿で走ってくるのはさくらちゃんのお父さんだ。

二人とも鬼のような形相である。

私たちは絶望的な思いでうつむいた。




そのまま私たちは、さくらちゃんちの車で学校の保健室に連れて行かれた。

着いたのとほとんど同じ頃に、私の母もやってきた。

これまた鬼の形相だ。

母は怒ると本当に怖いのだ。私は心臓が縮み上がった。

他にも保健室には、二人の担任の先生もいた。

どうやら二人そろって無断欠席したことが問題となり、みんなで探し回っていたらしい。

当然である。

大人に囲まれた私たちは、小さくなるしかなかった。

親や先生が厳しい表情を浮かべる中、保健の先生が優しく、

「どうして学校に来なかったの?」

と聞いてきた。

「なにか悩み事があるのかな? 誰かにいじめられた?」

そう聞かれても、私に理由はない。

肝心のさくらちゃんは黙ったままだし、私も答えようがないので、仕方なく黙っていた。

すると、ついにさくらちゃんパパが、

「いい加減にしろ!」

と怒鳴った。

「理由も無いのに学校を休むなんて許さん!」

私たちは飛び上がるほど驚き、そしてとうとうさくらちゃんが泣き出した。

「教科書・・・教科書が・・・音楽の・・・」

そう言って、さくらちゃんはわんわんと泣きじゃくった。

・・・この日、さくらちゃんのクラスでは音楽の授業があったらしい。

そのことをすっかり忘れていたさくらちゃんは、教科書を持って来なかったことを、学校に着いてから思い出したのだ。

忘れ物をするなんて、どれだけ先生から怒られるか。

そう思うと怖くなり、教室に行けなくなってしまったのだ。

・・・前回、ちらりと話した『他のクラスの怖い先生』というのは、実はさくらちゃんの担任のことだった。

無断欠席のほうがよほど怒られることなのだが、その時のさくらちゃんには、教室に行くことのほうが恐怖だったらしい。

結果、『学校を休む』という手段に出てしまった。

でも一人では心細かったので、私を強引に引き込んだのだ。

泣きながらそう話すさくらちゃんに、大人たちは一様に黙り込んでしまい、結局私だけが先に教室に戻された。

教室では、みんなが興味津々に私を見てきたが、先生はとくに説明はせず、そのまま授業に入った。

当然、私は休み時間にクラスメイトの質問攻めにあったが、さくらちゃんのことを話していいものか分からず、適当に言葉を濁してやり過ごした。

なんとも居心地の悪い一日だった。

さくらちゃんはというと、音楽の教科書を隣りの席の子に見せてもらうという、ごく一般的な解決方法で、その日を終えたらしい。

とりあえず、帰宅後は母に怒られなかったことだけが、私にとっては救いだった。


~了~


お知らせ

神無月 大和

Author:神無月 大和
         

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