FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『自堕落人間半生記』~大和 五歳

前回、A園での話をしたが、五歳の春、私は別の寺が運営している保育園へ編入することになった。

そこにどんな大人の事情があったのか、私は知らない。

ただ、ある日突然、母から「これからは別の保育園に通うのよ」と言われ、その後A園で、先生から「ここでみんなと一緒に卒園出来たら良かったのにね」と、言ってもらえたことだけを覚えている。

新しく通うことになったB園は、真言宗の僧侶が理事長を務める保育園だった。

寺とはやや離れた場所にあったが、園の講堂には大日如来像が飾られ、毎朝そこで、みんなでなにやら斉唱するのが日課だった。

正確になにを言っていたかは覚えていないが、妹の話によると、『万物へ感謝の言葉』らしい。その妹にしてみても、

「なんかねぇ、『ありがとうございます!』とか言ってた気がする」

……というなんとも心もとない記憶だが、それすらも覚えていない姉よりはマシだろう。

この園はA園と比べると、とても厳しかった。

とくに挨拶は、声が小さかったり気持ちがこもっていないと先生が判断したら、何度でもやり直しをさせられた。

その当時は(面倒くさいなぁ)と思ったものだが、大人になってから、挨拶の大切さを知ることになる。

挨拶が出来ない秀才と挨拶が出来る馬鹿、どちらを選ぶ?と聞かれたら、ほとんどの人が迷わず後者を選ぶだろう。

私だってそうだ。

明るくはきはきとした挨拶は、多少のミスなど吹き飛ばしてくれる優れた渡世術だと思う。

今でこそ、それが理解できるが、当時は面倒くさかった。

面倒くさくてもやらなければならなかった。

また、定期的に理事長が説法を聞かせてくれたのだが、ほとんどの園児はポカンと聞いていただけだった。

なんとなく(役に立つ話をしてるんだろうな)と思うだけだ。

内容もよく覚えていない。

では、幼児に説法を聞かせるのは無意味かというとそうではない。

理解できるかどうかではなく、その空気をじかに肌で感じることができるかどうかなのだ。

日本において、やはり仏教は、意識せずとも最も身近にある宗教だと思う。

神道の家庭でも、大みそかに除夜の鐘を聞くと感慨深くなるし、願掛けと称して、禁欲生活を送ることもある。

もちろん逆もある。

仏教徒なのに神前結婚式をあげたり、クリスマスをしたり。

宗教に関して日本人は、本当にしっちゃかめっちゃかなのだが、それでもやはり、日本人=仏教のイメージは拭いきれない。

日本人の道徳観念も、そもそもは仏教からきている。

『嘘つきは閻魔様に舌を引っこ抜かれる』
『悪いことをすると地獄に堕ちる』
『地獄に落とされた者は、永遠の苦しみを味わうことになる』
『善人は極楽へ行ける』
『極楽で幸せなひと時を過ごしたあと、再びこの世に生まれ変わることが出来る』


とてもありがたいことに、日本人のモラルは、世界ではトップクラスと言われている。

どうも日本に住んでいるとそうは思えないのだが、海外から見ると、治安もいいし犯罪率も低いほうらしい。

佐世保の同級生殺害事件や、北海道の女性拉致事件など、痛ましい事件が立て続けに起こっても、それでも日本人のモラルは世界から称賛される。

その是非はここでは棚上げしておくとして、なぜ日本は治安が良いと言われるかは、やはり上記の教えを幼い頃より叩き込まれているからではないだろうか。

私たちは、とにかく他人に迷惑をかけるなと教えられてきた。

他人を思いやり、子供を慈しみ、親を気遣い、老人を敬う。

そうすることで己の徳を積み、死後の世界で安寧を得られると無意識化で理解している。

日本人の心に沁みついた仏教の教えは、子供の時分より知らず知らずのうちに、大人から継承される。

保育園で仏教に触れることは、それらをより強く正確に肌で感じ取ることができるというわけだ。

私の両親が寺保育園にこだわったのも、もしかしたら、そういったことを踏まえてのことだったのかもしれない。

・・・そんなに思慮深い両親でもなかったが。

さて、このB保育園、実家の近くにあったので、通っている子どもは、ほぼ近所の子どもたちであった。

その中でも、最も我が家に近い家に、さくらちゃん(仮名)という子がいた。

白い肌と日本人離れした顔立ち、やや癖の入った赤髪が、まるで異国のお人形さんのようだった。

私がこれまで出会った人々の中で、間違いなく一位に輝く美少女である。そう言えば五年ほど前、偶然スーパーで何十年ぶりかに再会したのだが、とても四人の子持ちとは思えない美魔女っぷりに、思わず圧倒されてしまった。

人間、あんなふうに年を重ねたいものである。

・・・いや、それはともかく、幼少当時の私とさくらちゃんは、家族ぐるみでお付き合いしていた。

私がA園に通っている時から、よく休日は一緒に遊んでいたのだ。

しかし、大の仲良しかと聞かれれば、はて?と首を傾げてしまう。

よく一緒に遊んだし、互いの家も行き来していたが、それはたんに『家が近いから』というそれだけのことに過ぎない。

さくらちゃんは見た目の可憐さとは裏腹に、非常に我の強い子であった。

そして私もまた、負けず嫌いの我の強い子であった。

こんな二人がそうそう仲良く遊べるものではない。彼女とは、しょっちゅうケンカばかりしていた気がする。

昨日ケンカをして今日仲直りをし、そしてまたケンカをして明日仲直りをする。毎日がそんな具合だった。

そんな似た者同士の二人だが、決定的に違うのは、さくらちゃんは非常に『人を集めるのが上手い』ということだ。

普段はさほど付き合いのない子でも、私とのケンカの最中に、いつの間にか自分の側に引き込んでしまう。

あのテクニックは今考えても、お見事というほかない。

だから彼女の周りにはいつも人がいたし、逆に、ケンカをしている時は私の周りにはほとんど人はいなかった。

数人の女の子が集まって、こちらを見ながらなにやら話してる。そんな状況が保育園内で日常茶飯事に行われていたのだ。

・・・と、ここまで読むと、まるで私が気の弱いいじめられっ子のように思えるが、前述した通り、私もそんなにか弱い子どもではない。

私がさくらちゃんとケンカをした時、必ずすり寄って行く子がいた。

かな子ちゃん(仮名)だ。

どこの集団にも、たいてい一人はいる『大人しい子』だ。

かな子ちゃんは、とても穏やかな子だった。普段は一人で絵本を読んだり、先生のそばでぼんやりしていた。

だからと言って、人付き合いが苦手という感じでもなかった。歌も大きな声で歌えるし、話しかければハッキリと返事をしてくれる、どちらかといえば聡明な子だ。

ただ、容姿が凡庸だったせいで、クラスの人気者といった体ではなかった。

あのさくらちゃんですら、わざわざかな子ちゃんを自分の陣営に入れようとはしなかった。

そんなかな子ちゃんに私は、クラスで孤立した時だけすり寄っていたのだ。普段はたいした付き合いもないのに、である。

まったく、我ながら卑怯な子どもである。

普段は挨拶ぐらいしかしないのに、さくらちゃんとケンカをして居場所がなくなった時だけ、かな子ちゃんに馴れ馴れしく話しかけるのだ。

もし私がかな子ちゃんの立場だったら、こんな勝手な奴、口も利きたくないだろう。「ふざけんな!」ぐらい言ったかもしれない。

しかしかな子ちゃんは、気持ちの優しい子だった。

もちろん内心は気に入らなかっただろうが、それでも毎回、私を受け入れてくれた。時には自分から、私が孤立していないかどうかを気にかけてくれるような、そんな子だった。

そのかな子ちゃんの優しさを、私は自分の都合のいいように利用していたのだ。

理事長が知ったら、卒倒しそうな悪行である。

せっかくの説法がまるで役に立っていない。当時の私は、理事長の話を聞いていなかったのだろうか?

・・・・・聞いていなかったのだろう。どうりで覚えていないはずだ。

『他人に慈しみを持て』みたいなことだったと思うが、慈しみどころか、私とさくらちゃんは、ことあるごとに対立し、その度に周囲を巻き込んで大騒ぎしていた。

理事長どころか、親まで落胆させてしまいそうな話である。

しかし、そんな二人の対決に、ついに終止符が打たれた。

それは、毎年恒例のお遊戯会のことであった。

もちろん私にとっては、B園で参加する、最初で最後のお遊戯会だ。それだけに気合いも入っていた。

私たちの演目は、アンデルセン童話『雪の女王』に決まった。

ゲルダという少女が、雪の女王に魅入られたカイ少年を助けるために冒険に出かけるという、あの童話だ。

この配役で私たち二人は、揉めに揉めた。

私もさくらちゃんも、ゲルダを希望したのだ。

当然である。誰だってヒロインをやりたい。

とくにこの『雪の女王』では、ゲルダはヒロインでありヒーローでもある、大変おいしい役なのだ。

それを是非自分がやりたい。

そう主張して譲らない私たちに、ついに先生が判決を下した。

『ゲルダ役・さくら  雪の女王役・大和』



・・・・・雪の女王・・・・・大和?



なんと私は、ラスボス雪の女王役に決まったのだ。

この瞬間、私は負けた。

さくらちゃんに負けたのだ。

先生がヒロインにふさわしいと判断したのは、さくらちゃんだった。

そして私に回されたのは、物語の最後に、ゲルダにフルボッコにされる女王だった。

思わず号泣した私に、さすがのさくらちゃんも慌てたようで、「女王様だから綺麗なドレスが着れるよ」と励ましてくれた。

先生も「そうだよ。大和ちゃんのお衣装がいちばん綺麗なんだよ」と言ってくれた。

でも私は、衣装なんかどうでもいいのだ。

ヒロインに選ばれなかった。さくらちゃんに敗北した。

そのことが悔しくてたまらなかったのだ。

面倒くさい子どもである。

それ以来、私たちはあまりケンカをしなくなった。なんとなく上下関係が出来てしまったのだ。それは小学校に上がってからも変わらなかった。


たかがお遊戯会。されどお遊戯会。

子どもにとっては死活問題なのだ。


ちなみにお遊戯会では、私は誰よりも派手なドレスとマントを着せてもらえた。

そのドレスを着て、ゲルダや、ゲルダに同行してきた動物たちにフルボッコにされて役を終えた。

かな子ちゃんは、ゲルダに同行していたキツネかネコの役だったと思う。

舞台の上とはいえ、私は都合よく利用していたかな子ちゃんにまで、制裁を加えられてしまった。


因果応報。

これぞまさしく、仏教の教えである。


~了~


スポンサーサイト

テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

お知らせ

神無月 大和

Author:神無月 大和
         

カウンター
ブロとも申請フォーム
18歳未満の方はお断りいたします。ブロとも一覧は公開しておりません。お気軽に申請してくださいませ。

この人とブロともになる

最新記事
カテゴリ&作品名(『』表記)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。